すこし前に、Huluにジュラシック・パークがリリースされたと聞き、
観たときの感想をのせます。なかなか長編ですがお付き合いいただければ幸いです。。
一応注意点として、わたしの感想は基本ネタバレありきです。
エンディングを知りたくない方は反転させてあるのでお気をつけください。




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 映画『ジュラシック・パーク』を、初めてまともに観た。きっかけは、まずバラエティ番組から「ジュラシック・パーク」がCGの走りだと知ったこと。当時は特撮と言われる方法(人形を動かしてコマ撮りする方法?)でしか恐竜などの実写は作れなかったが、「ジュラシック・パーク」の製作途中でCGの技術が実用化され、監督が即採用したらしい。当時の観客はリアル過ぎる恐竜にかなり驚いたという。
 
 わたしはジュラシック・パーク3を確か劇場で父とみた気がする。当時小学校低学年だったわたしには死ぬほど怖かった記憶がある。母も当時ジュラシックパークは本当に怖くて無理だと言っていた。確かに初めて見たCGがジュラシック・パークなら怖すぎる。だから小中学校時代は見れなかったし、その後も何となく避けていたのは、子供時代に植え付けられた恐怖感だけ無意識に引きずっていたからだろう。(なんかそういうのっておもしろいよね、子供のころの気持ち・記憶を覚えていつつ、今は全く違う視点を持ってるっていうこの感じ。)
 
 きっかけその2は生命倫理の授業の導入でいくつかのクローンや体外受精などの記事を読んだ中に、マンモスのクローンを作ることができるということについての記事があったことだった。わたしはマンモスを作れるなら、もしそんな夢のようなことができるのなら、絶対に作った方がいいではないかと強く思った。その時代についての理解、マンモスの生態から人類の祖先の生活環境などの理解・新たな発見につながる画期的なことではないか。そしてそれ以前に、この上ないロマンに溢れている!しかしその記事の論調はどちらかというとマンモスのクローンを作ることに警鐘をならす立場にたっているようだった。クローンを作った場合の危険性やマンモスの生き方、果てにはマンモスの権利まで考えるような内容だった。何を今更、わたしたちはありとあらゆる生物のクローンを作っているのに、マンモスのクローンも、実験用のラットも、かかるコストの他にいったい何が違うのか(コストの問題はかなり大きいだろうが)。今の技術ならマンモスをコントロールすること、人間の危険にならないように管理・飼育することは当然可能だろうとわたしは確信していた。何かを始めるには危険は必ず伴うし、始めなくても、別の何かをしても、それぞれに伴う危険はもちろんある。どうしてマンモスのクローンに対してだけ、それほどまでに危険性を強調するのか理解できなかった。ジュラシック・パークとの2回目の出会いはその記事の中である。危険性を読者にイメージさせる目的で、ジュラシック・パークが引き合いに出されていた。わたしがジュラシック・パーク3を観たのは小学校低学年でストーリーは覚えていなかったのでいまいちピンとこず、もやもやとしたままでいた。
 
 そして今日、Huluにジュラシック・パークが新しくリリースされていることを知った!素晴らしいタイミング!私は迷わず鑑賞を始めた。
 もちろん、結構びびっていた。なんといっても、幼心に残る恐怖は記憶より心に無意識に染みついている。再生を始めると、「これは成人向けの映画です。個人の責任・意思によって鑑賞を行って下さい。+15」のテロップが流れる。超怖かった。やっぱり怖いんだ、、、!と気を引き締めるわたし。
 
 全体的にはやっぱりちょっと古かった。もちろんファッションも撮り方も俳優も。しかし、怖かった。急に現れる肉食恐竜には心臓が押しつぶされる。襲われるのが子供たちや女の人だと恐怖が倍増。あと人が普通に食われた。CGは今よりは劣っても、十分リアルで、感動する出来だった。これをリアルタイムで観ていれば、一生心に残る感動が得られただろうな、と母を羨ましく思った。CGも3Dも当たり前の現在でも十分感動するし、どきどきする。絵はとてもキレイで、土砂降りの表現などは本当に迫力あるものだった。残念だったのはストーリーが少し弱かったことだろうか。裏切り者のデブの目的や、彼が誰とつながっていたのかが明らかにされなかったし、あのデブ最後どうなったかよくわからない。それでも、(ネタバレ反転)最後、ヴェロキラプトルに挟まれて絶体絶命のとき、ティラノサウルスが現れて2匹を食ったことで、結果的にさんざん恐怖に陥れてくれたティラノサウルスに助けられたというエンドは秀逸だと思う。

 これらの体験を通して、自然を支配しようとする危険性や、人間の傲慢、そして不完全性などに気づかされた。どんなに完璧なシステムを作ったとしても、それを管理するのが人間であるかぎり、あんなクソデブの裏切りひとつであれほどまでの危険に襲われうるというのは恐ろしいことだ。そして、雌しかいないはずの恐竜たちは、混ざっていた西アフリカのカエルの遺伝子により、雌が雄に性転換し野生で繁殖していた。ここにも、人間が自然を支配することがただの傲慢であり、自然を完全に操るなどということが不可能であるというメッセージが含まれている。記事からはわからなかったことが、ジュラシック・パークを観てすべて感覚的に理解できたというのはさすがこの映画の完成度によるものだろう。コンセプトがはっきりしていて焦点がしっかりと絞り込まれている作品だからこそ、CGをとりいれたということ以上のヒットできた理由があると思う。あの素晴らしいテーマ音楽を耳に残しつつ寝ることにする。


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