わたしを動かす物語たち


This movie does not make me happy but still, I love it.

ただただ悲しくて、悔しくて、許せなくて、寂しくて、愛おしい、苦しい。
もっともっと泣きたくなって、抗いたくなる。認めたくない。

わたしの心をこんなにもかき乱すこの物語は、主人公ルイーザの明るい性格に合わせて、ずっと平和に進んでいく。あらすじはこんな感じ。(サマライズ苦手)

ルイーザが住むイギリスの小さな田舎町には、お金持ちトレイナー家の大きなお城がある。そのふもとにあるカフェで働いて家計を助ける26歳のルイーザ。洋服が大好き。7年間付き合っている自己啓発系運動オタクの彼氏がいる。ルイーザはカフェの閉店とともに失業してしまい、6ヶ月限定だが高給の求人を見つける。その仕事は事故で全身不随になり車椅子生活を送るトレイナー家の長男、ウィルの介護だった。

2人が出会ってから距離が近づくまでは少し時間がかかる。しばらくはウィルがツンでかまってくれない。でも彼はやがて安い同情をしないルイーザを見つけ、ルイーザを優しいまなざしで見つめ始める。一緒に映画を見たって、城からの景色を見たって、コンサートに行ったって、ウィルが見ているのはルイーザの表情。恋の始まりはこの二人だって王道ど真ん中。

この映画のいいところは、わかりやすく悲しくて、わかりやすく幸せで、わかりやすくもどかしくて、どうすることもできない。
そのわかりやすさはわたしをまんまとルイーザに寄り添わせ、ウィルに寄り添わせ、ウィルの両親に寄り添わせ、わたしは昔のウィルと今のウィルのギャップを図れた気になって苦しむ。

■昔のウィルと今のウィル
この2人の恋が悲しいのは、ウィルが全身不随になっていることが前提なところ。昔のウィルはバリバリ仕事をして、スポーツも何でもできて、ブロンド美女の彼女がいて、パリのカフェのテラスに座れば通りかかる女の子皆の視線を奪う超ホットな青年。全てを手に入れていた彼はそれはもう調子に乗っていて、そんな満たされた彼では絶対にルイーザの輝きを見つけることはできなかった。小さな小さな交通事故で全身不随になり、田舎の両親の家で24時間介護され、かつて彼の愛した彼女は彼の親友と結婚し、見事に全てを失ったウィルでなければ、ルイーザを愛することはなかった。そしてルイーザへの愛を見つけたウィルは、ルイーザを抱きしめることも出来ない自分の身体を恨む。それでも、昔のウィルはルイーザを見つけることはなかったの。全ては起こるべき順で起こっていて、どうしようもなくて。

■ルイーザは、彼の心を動かすことができなかった?
どれだけ彼がルイーザを愛していて、ルイーザの意思を尊重して、ルイーザの未来を考えていても、結局ルイーザの望むままに生き続けるという道は選ばなかった。ルイーザは彼の、自分で自分の人生を終わらせるという決心は変えられなかった。
結局ルイーザは何も未来を変えることはできなかったの?ウィルの決心を変えるほど、ルイーザと少しでも長く一緒にいたいと思わせるほどの愛はなかったの??って1回目は思った。2回目も思った。ルイーザとウィルのカップルのことがわたしはこんなにも大好きなのに、2人がhappily ever afterになれないのが、ウィルがルイーザによって決心を変えることがなかったのが本当に気に入らなかった。でも、違うの。ウィルはルイーザと出会って全てが変わった。きっと事故に遭う前とは違う愛を知った。事故の後、ウィルはブロンド美女の彼女を避けた。完璧じゃない自分を見せることを嫌がった。彼女を守れない自分のまま、側にいることが耐えられなかったんじゃないかな。でもルイーザとは違う。彼はルイーザを拒絶することはなかったし、彼女の提案を全て受け入れた。ルイーザのために自分を変えることを厭わなかった。彼はきっと全身不随の自分自身さえも、ルイーザのおかげで少し受け入れられたんじゃないかな。ウィルがルイーザの家族とご飯を食べたり、ルイーザの誕生日を祝うシーンを見ているとそんな気がしてくる。
そう考えると、me before youって、ウィルのことなのかもって思う。映画の中でもウィルの決心は変えられないよって言うネイサンに対してルイーザは、でもそれってhim before meでしょ??って言い返すところがある。生きていることに絶望して自殺を選んだ6ヶ月前のウィルと、ルイーザとの旅行で泣きながら自殺の決心を話すウィルは死を選ぶ理由が違うような気がする。でも結局ルイーザを守れない自分も、ルイーザを縛り付けてしまうのもウィルは耐えられなかった。彼女に可能性を見て、彼女を羽ばたかせる道を選んだ。それは愛と呼べるの?

■最後の手紙
書いてあることは素敵。僕はいつだって君とともに歩いてるよ。初めて会ったときから君は僕の心の中に刻まれてる。とかさ、何を言ったところで、だよ。最後にLove, Willなんて言い残す手紙を置いてく男はやっぱりクソ。到底許すことはできない。自分は死んでいくくせに、push yourself, don't settle. とか、don't think of me too often. Live well. Just live.なんて言わないで。ずるいよ、大好き、、、、、、

■世界一キライなあなたに
悪くない邦題な感じするけど、え、誰が誰をそんなにキライなの??最初からそこまで仲悪くはなかったよね??って一瞬思う。でも、あんな手紙だけ残して死んでいくやつなんてルイーザは世界一キライだよな、間違いないわって納得した。"嫌い"じゃなくて"キライ"なのも、ただ単に好きの反対の感情じゃなくて、嫌いって言葉を言いたくなるけどほんとは嫌いの反対だからカタカナなんだよね。口からはきらい!って出るけど愛してるの意味。世界一キライなあなたに、はルイーザがウィルに書くお返事の手紙の書き出しかなって思うの。










『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

2016/09/17 Hulu

フランクが次々と犯す詐欺行為は全部派手で華やかでかっこよくてスマートなのに、流れてるBGMも明るい曲なのに、それに反して彼を見ていると痛々しくて、悲しい気持ちになる。

生まれが幸せいっぱいの家庭だったからこそ、それが壊れたことを受け入れられない16歳のフランク。どんなに賢くて大胆不敵でも、守ってくれる大人を必要とする子供だってことをよく描写してある、この映画好き。本人の自叙伝ではもっと彼の詐欺のトリックにフォーカスして書いてあるらしいけど、だから映画よりすごいって言う人もいるけど、わたしはきっと映画の方が好き。フランクがどういう心理で次々と詐欺をしていったか、彼が本当に求めていたものは何か、そして時間とともに変化していく彼の若い感情を追うことができるのが嬉しい。

でもやっぱり映画の一番の魅力はレオナルド・ディカプリオ。これを言ってしまえばおしまいかもしれないし、できれば認めたくない。でもレオ様は女子をあまりに引きつけすぎる。彼のいったい何がこうさせるのかわからないけれど、フランクの人生の刹那さ、儚さが、レオ様にぴったり。前髪を作ると幸せな家庭の高校生、オールバックにすると28歳のドクターにも見えるし、長髪のレオ様は大人びててちょっとやさぐれててはぁ素敵。ブレンダとベッドにいるときはすごくたくましい上半身なのに、最後フランスで小切手を印刷してたときのタンクトップ姿は本当に10代の少年に見える。彼の表情も、戦略を考えたり誰かを説得したりするときは大人なのに、お父さんと話してるときとか、弱ったときに少年の顔になるところに胸がぎゅーっとなってしまう。とくにお母さんの新しい家庭を外から覗くシーン。長髪のレオ様なのにこの少年さは何??この当時すでにレオ様は20代後半なのになんで???単純に童顔なの・・・?

フランクの詐欺行為は相当な知能と創造力を必要とするものばかりだから、彼はほかのどんな仕事でも大成できたのに、ってきっとみんな思う。でも詐欺師は生まれながらにして詐欺師なのかもしれない。だって彼が転校先の高校で代理教師のフリを1週間も続ける意味なんて全然ない。でもたぶん、ふとやってしまったんだ。同じように、小切手偽装もしたんだ。ドクターも、弁護士も。そういう性分が生まれながらにしてあるから詐欺を続けるしかなかったんだ。警察に追われるのはもう嫌だった、だからずっとやめたかったと思う。でも彼が詐欺をやめられなかったのは、もしかしたら捕まらないためだけじゃないのかも。だから、最後もまたパイロットに戻った。

最初牢獄に入れられててアメリカに送還されるシーンから始まったから、彼が犯す華やかな詐欺生活も、その後の結末を思うと見ていてつらかったけど、まさかそのあともストーリーが続くなんて嬉しい誤算。最後の逃走のあとは、もう戻ってこないんだって思った。でもまさか、彼がニール・キャフリーだったとは。そういえばポスターのデザインもホワイト・カラーに似てる。ずっとフランクに寄り添って見れる映画だった。間違いなくお気に入りの映画のひとつ。

1 全体的にさらっと

ピンクとグレーを見た。良かった。菅田将暉がダントツで良かった。でも監督の観客をだます演出は気に入らなかった。わたしは普通に3人のぐるぐるしたストーリーが見たかった。それと、前半の主役が菅田将暉、後半は中島裕翔目線になるのも、2人の力量差が出て残念。前半がすごくよかっただけに、後半急に失速してしまって、映画宣伝のためにやるスピンオフドラマくらいのクオリティだった。それから、菅田将暉×中島裕翔の構図が後半は中島裕翔×柳楽優弥に入れ替わるのも、ちょっとついていきにくかった。


2 日曜の夜、衝動的に映画館へ

日曜日の夜、相変わらず毎週水曜日提出の課題に手を付けていないまま、なんか外に出たくなって映画館に行った。といいつもっと理由は明確。好きな人がかまってくれないから、彼となんとなく似てると思った菅田将暉を見て寂しさを埋めたくなった。彼を初めてみた時、菅田将暉的イケメンが釣れた笑、と友達にLINEしたのを覚えてる。結局わたしの心だけ持ってかれて釣れてなかったんだけど。どっちが先かわからないけど、彼と出会った頃からからすごく菅田将暉が気になってた。菅田将暉に似てるから彼が気になったのか、彼が気になってたから菅田将暉に親近感が湧いて好きになったのか、とにかく鬼ちゃんで完全に菅田将暉の虜になってしまったわたし。ピースオブケイクのキスシーンがどストライクで、とにかくクズな菅田将暉がツボで、衝動的にピンクとグレーを見に行った。やさぐれた心で、カップルを尻目に、シナモンロールとかマフィンとかスコーンとかチュロスとかドーナツとか、そういうものをもさもさ食べながら、ひとりで映画にひたるのがなんか好き。その退廃的な感じとか、世界がグレーに見える感じとか、幸せとは違うけど、たまにやりたくなる。浸りたくなる。


3.1 菅田将暉の力量を魅せつけられる映画

 ピンクとグレーは、とにかく菅田将暉が素晴らしかった。思春期の少年を演じさせても、ふらふらしてる若者を演じさせても、やさぐれてコンビニ弁当食べる大人を演じさせても、本当に上手。白木蓮吾が死ぬまでの前半、ごっちとリバちゃんとサリーの3人のストーリーはとてもよかった。青春の目を背けたくなるような恥ずかしい感じ、菅田将暉が上手すぎてリバちゃんを直視できないほど。サリーの太腿をみて思わず襲いかかっちゃうところとか、うわーこれはつらい、見れないっっ、てなったけど、いやいやもっかい見たい!!!!そのあとの、ごっちと喧嘩別れしてサリーの家に行って、泣きながらサリーを襲うところも本当に素晴らしかった。リアルすぎて、泣きたくなった。高校生のころのわたしだったら絶対に嫌いだったけど(実際当時は菅田将暉もクズの役が多くて好きじゃなかったけど)、今あんなリバちゃんみたいな人に襲われたら、キュンとして許しちゃうな・・・と本気で思う。いっぱいいっぱいになっちゃってそれがうまく出せなくて、そんな頭の中ぐるぐるしたまま自分のところに来て無理やりキスされたら、愛おしくなっちゃって受け入れると思う。しょうがないな、今はわたしが助けてあげないとダメなんだろうなって。それで彼が救われるなら、とか。10代を終えた女の子は、若さを失った寂しさを埋めたくなるんだよね。弱った男子はアカン。

 後半の菅田将暉はリバちゃんを演じた、芸能界にそまる先輩俳優になるんだけど、それもまあお上手。絶妙に癇に障って、それでいてちょっとひやっとする怖さがあって。でもこの成瀬凌役の菅田将暉は好きくない。菅田将暉は若くてちょっとしたきっかけひとつで壊れてしまいそうな危なっかしさを持ったキャラが一番魅力を出せると思う。

 でも、もしかしたら菅田将暉があまりにも魅力的にリバちゃんを演じてしまったがゆえに、後半の中島裕翔の物語を面倒くさく感じてしまったのかもしれない。作り手側は映画と現実の落差を見せたかったのかもしれないけど、それを表現するにも落差がリアルすぎた。それくらい、菅田将暉のりばちゃんはわたしにとって強烈だった。


3.2 前半、後半制の失敗

 よくそれをやろうと思ったな!という意外性はある、まさかの主要キャスト総入れ替え。中島裕翔asごっち、菅田将暉asリバちゃん、夏帆asサリーっていう構図が、リバちゃん原作の映画キャストだったという設定で、リアルの世界では柳楽優弥asごっち、中島裕翔asリバちゃん、無名女優asサリーだったと。菅田将暉と夏帆は俳優役。ここからは中島裕翔asリバちゃん目線の、芸能界の闇を知って思い悩むリバちゃんと死んだ柳楽優弥asごっちとの対話がメインストーリーになる。この、ひとり2役は悪くなくて、菅田将暉と夏帆の後半の役もみれてよかったんだけど、引っかかる部分が多い。ひとつめの問題として、中島裕翔が無味すぎるせいか、今まで見てた菅田将暉asリバちゃんとうまく交代できてない。次に、いきなり出てきた柳楽優弥に、え、誰???感が拭えない。そして最後に、わたしが恋した菅田将暉asリバちゃんが後半一切出てこない。この3点において後半は見ているうちに冷めてきてしまった。

 まずひとつめの問題だけど、最終的に中島裕翔の物語にするなら、前半の映画の中のストーリーも、もう少し中島裕翔がメインである伏線があってよかったと思う。わたしが見逃していただけかもしれないけど、前半でも中島裕翔の中のリバちゃんを覗かせるシーンがあればよかったな、と思う。ピンクとグレーの宣伝は確かに中島裕翔主演、ってなっていてヒントではあったけど。中島裕翔に少しでも観客の視線を持っていくような、そんなシーンがちょっとでもあれば飲み込めたと思うのに残念。

 ネタバレうまく避けられないので簡単に言ってしまうと、前半はすべて劇中の映画の中のお話、後半がこの映画ピンクとグレーにおける現実だったわけだけど、観客を騙す目的で劇中映画にリアルを追求し過ぎたら本当に別の作品が中に生まれてしまって、インセプション的なわけの分からなさになっている印象。いや、それをぐるぐる考えるのは嫌いじゃないけど、インセプションと違ってこの作品の場合考えても何もなさそう。例えばこの作品を2回目に見るとき、前半の菅田将暉に成瀬凌を探すのはなんか違う気がするし、そう考えたくないな、ってくらいリバちゃんとしての菅田将暉が気に入ってしまった。私の中の菅田将暉の印象が強すぎるのが一番の問題だけど、こういう理由で後半の中島裕翔目線の物語は全然引き込まれなかった。

 つぎに気になるのはやはり柳楽優弥。いままで見てきた(見慣れていた)中島裕翔asごっちから柳楽優弥への交代についていけなかった。彼はとてもいい俳優だし、オーラもあってよかったけど、なんかしっくりこない。いやでも、しっくりこないのは問題じゃない。いままで中島裕翔asごっちをずっと見てきたんだから、違和感はあって当然だし、その違和感、引っかかる感を期待しての演出だと思う。映画から現実になってごっち、りばちゃん、サリーが地味になるのもリアルでよかったんだけど・・・。柳楽優弥なんて中島裕翔より本当に自殺しそうだしね。(これは信長協奏曲のイメージ)たぶんわたしが一番引っかかってしまったのは身長かな。中島裕翔、背高いんだよな。中島裕翔×菅田将暉って並んだ時と、柳楽優弥×中島裕翔で並んだ時が、やっぱり中島裕翔のほうがごっちに見えてしまう。そこ、もうちょっと中島裕翔よりも背が高くて俳優っぽい人だったら(って誰だよって感じだけど)まだ飲み込めたのかな。柳楽優弥と中島裕翔で、柳楽優弥のほうがモテてた過去とか想像しにくかった(笑)

 最後の問題点はやっぱり、菅田将暉も夏帆も、完全に別人になってしまっているのが残念。成瀬凌と名前忘れたけど夏帆の演じる女優がもうすこし自分が演じた役と心情をシンクロさせたりしてくれたら情も感じるけど、いままでずっと見てきたはずなのに彼らには全然感情移入できないし、連続性もなくて、違うドラマに出る菅田将暉と夏帆っていう俳優を普通に見ている感覚。俳優が俳優役をする難しさなのかな。劇中の映画とリアルの2重構造が、観客の現実と合わせた3重構造に見えてしまって、さらには観客のいる現実が作品に干渉してしまっている感じ・・・?

 こういう設定にするなら、後半は後日談にして、もっと短くしてよかった。死んだごっちをリバちゃんが発見した直後、カットがかかってクランクアップーってなって、主要キャスト3人で映画の宣伝をして、打ち上げして、っていうところまでは意外性も続いて面白かったけど、菅田将暉as成瀬凌がリアルのサリーに絡み始めたところくらいから、いつまで続くんだろうという気持ちになってくる。ごっちとお姉さんの関係だけ明かして、あとはもう一度映画設定キャストでエンディングで良かった。最後まで成瀬凌の目的もはっきりしなかったし、本当にリバちゃんと白木蓮吾を引き合わせるためだけに動かされたコマって感じで感情移入できなかった。


4 まとめ

 なんだかんだ言ったけど、好きか嫌いかで言ったら好き。菅田将暉が素晴らしい。純粋だったリバちゃんが、ごっちだけ売れていくことを気に入らなくなっている自分に気づいて、悩んだり自暴自棄になったりしながらかろうじて生きている感じ、とてもいい。白木蓮吾みたいには何も手に入らなくても、生に希望を見いだせるリバちゃんと、名声を手に入れながら死を選ぶごっち、正反対な2人がよかった。でもこの映画は前半がすべて。後半はイラナイ。


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